2013年12月31日火曜日

23:50

残りの10分は何も考えないか、すべてを考えようと思っていたので
ひとまず書き留めておこうと思った。

いろいろなことがあったし周りで本当に幸せになってほしい人が幸せになり始めたし
僕にいたっては人の幸せを祈る余裕がある状態になっている。

人との出会いに感謝、という言い方がいいのかはわからないけど
出会えてよかった縁はたくさんあるし、去年まであまり大事にしなかったところだけど
来年からは大事にすべきなのかなと思う。

よいお年を迎えられそうで本当によかった。
結局いろんな人から連絡がきてゆっくり自分のこと振り返る時間もないし
それがかなり恵まれている部分なのかもしれない。

2013年12月27日金曜日

3:18

・価値と意見の対立

価値の定義は人によって違うし価値観が違う人の場合には
たとえその人が"価値"を持っていても切る勇気が必要なことがある

もしくは自分が切られてしまうのでもいいのだけどそれではあまりに悲しい
なぜかというとそこには僕の主張がないからで、つまり僕は第三者として
僕にとっては空虚なものを見届けることになるからだ。

怒りにまかせることは簡単であるけど、全体の利益を考えたときに立ち戻るべきは場の定義で、
場を定義して初めて自分が違和感を覚える主張が場にそぐわないという主張を行うことが出来るのだ。世の中というのはそういう風にできているし今僕が思うまま意見をぶつけたところでそこでは対立する2つの主張が存在するだけでおそらくはもっともらしい主張をする(倫理、空気と言ったものを持ち出して)どちらかがマジョリティを獲得して優位となるだけでそこには何らの生産性もない。
意見の対立においてはそれらを突き合わせた上でまったく異なる新しい案が創出されるべきだ。なぜなら元の2つの主張はそれぞれ主張を持つ個人に端を発するが、より良い意見を創出しようという発想は意見の対立に端を発するわけであり、この場合においての目的は個人の目的の達成ではなくあくまでより良い意見の創出であるからだ。 発する点、目的が異なるからにはそれは全く新しい意見である、という発想の転換もなされるべきである、というのがこの根拠に当たる。

考え方がまとまらないのでひとまず以上

2013年12月19日木曜日

2:54

・大人の女の子について

僕はたぶん女の子を大人だと思い過ぎてるところがある。

僕の中では彼女は全てを理解してるし 何もかも知ってるのに
どこか知らないふりをすることで何も知らない男にその魅力を伝えようとしてると思っている。
昔からそういう考え方をすることがとても多くて、だからこれまで僕は女の子に自分から告白したことってなくてそれはきっとこれからもずっとそうなんだと思う。

そういう意味ではこれから自分がもう少しだけ大人になって
彼女の生活の糧にならないといけないとなったときが僕にとっては大きなターニングポイントで
僕の中では彼女はずっと高みの見物をしながら必死に働く僕を気が向いたら慰めてくれるんだろう。
この彼女への考えは幻想でも何でもなくて僕の中のものだから僕の言う彼女は僕の意識自身で、
フィヒテでいう事行にあたるのかもしれない。
three imaginary boys and two twee girlsとはうまくいったものだなと思う。
Tweeという言葉は僕にとって特別な意味を持つ単語になっていて、
おおまかには上に書いたような女の子がtwee girlsなんだと思う。
だから彼女達が憧れる男なんていうのはロクな人間でなくて
まさに僕達にとって僻みの対象になるべき人間なんだと思う。

"imaginary woman"という短編を読んだ。作者は男だ。
imaginary womanというのは作者自身のimaginary womanの部分を投影している、という読み方をすると中身がすっと頭に入ってきた。相手をする気もない文学的才能のある(と思いこまれる)男に夢中になるimaginary womanとそれに憧れる作者の投影という図が出来あがる。これはまさにそのままだ。
100年以上前の全く違う文化の人の書いた文章にすらこういう図式があるんだから
きっとこれは僕のような年代の人間にとってのひとつのテーマなんだろうと思う。
でも難しく考えることは出来なくて、結局彼女は本当に魅力的で僕にとっての全てだ!ということで
思考が止まってしまうし今は無碍な詮索をすべき時期じゃないのかとすら思う。

3:07

もしかして僕のあこがれの対象はロクでもない男なのか!

2013年12月2日月曜日

18:59

・ 人をこころおだやかにする物を作る人がこころおだやかでなくてどうする

どこかで
自分が100%必要とされる自分にしかできない仕事はたいていは社会では必要とされない仕事、
 という言葉を見て本当にその通りだと思ったしだから僕は必ず特定の誰かがある時間にある場所にいないといけない、というようなことがとても苦手なのかもしれないと思った。
ノマドって実際すごく合理的な働き方だと思うし、彼らを批判する人たちはデスクワーカーが大半で
それは結局対立する立場の抗争にすぎなくて、これはとても重要なことなんだけど
対立する立場の抗争にはたいていどちらが絶対的に正しい、というものはなくて
どちらを推すというわけでもないけど単純な比較の為にためしに
デスクに座っている時間対収入とか休暇でマトリックス作ってみてほしい


・Catwalk
ニックは本当に気分が落ち込みやすい人だからレーベルからも勝手にしていいといわれているときいて本当に彼が好きな僕は間違っていないし本当に彼を応援したいとおもった。
Alpaca Sportsはおもってたとおりとても強い人たちですごく楽しい時間を過ごすことが出来たし
これまでの人生でこんなに濃密なコミュニケーションをとったことがない!と思った
実質4日も一緒にいなかったのにこんなに仲良くなれた、と思えるのは本当に彼らの人柄に依る部分が大きい。違う文化圏のひととのコミュニケーションは異質っていうのは前から思っていたんだけどなんとなくそれは)は、文化が違うからこそ見知らぬ慣習に臆することなく自分のしたいこと言うことが出来るし、気分を害したときには遠慮することよりもその後の全体の利益をとることが出来ることなのかもしれないとおもった。今回後者に関しては音楽という共通言語があったことも大きかった。この音は良い音、ほしい音、というのは異文化間で共通の部分として存在する文化や趣向という形で互いに表現できるし理解できる。音楽はすごい、って人生で初めて思ったかもしれないし、たぶんこれは音楽に限らない事なんだろうとも思った。

頭がとても痛くてこれを売っている間にも研究室の先輩からメールがくるし
返信しないという方法をとることもたぶんできたんだろうけどさっき少し心身症や適応障害について調べてたら「軽度のものとして連絡をせずひきこもる」というものを発見してしまってそんなのであってたまるかと思いメールの返信をしながら打ちました。

19:19