2013年12月27日金曜日

3:18

・価値と意見の対立

価値の定義は人によって違うし価値観が違う人の場合には
たとえその人が"価値"を持っていても切る勇気が必要なことがある

もしくは自分が切られてしまうのでもいいのだけどそれではあまりに悲しい
なぜかというとそこには僕の主張がないからで、つまり僕は第三者として
僕にとっては空虚なものを見届けることになるからだ。

怒りにまかせることは簡単であるけど、全体の利益を考えたときに立ち戻るべきは場の定義で、
場を定義して初めて自分が違和感を覚える主張が場にそぐわないという主張を行うことが出来るのだ。世の中というのはそういう風にできているし今僕が思うまま意見をぶつけたところでそこでは対立する2つの主張が存在するだけでおそらくはもっともらしい主張をする(倫理、空気と言ったものを持ち出して)どちらかがマジョリティを獲得して優位となるだけでそこには何らの生産性もない。
意見の対立においてはそれらを突き合わせた上でまったく異なる新しい案が創出されるべきだ。なぜなら元の2つの主張はそれぞれ主張を持つ個人に端を発するが、より良い意見を創出しようという発想は意見の対立に端を発するわけであり、この場合においての目的は個人の目的の達成ではなくあくまでより良い意見の創出であるからだ。 発する点、目的が異なるからにはそれは全く新しい意見である、という発想の転換もなされるべきである、というのがこの根拠に当たる。

考え方がまとまらないのでひとまず以上

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